なぜ熊本市の「街路樹再生」事業は中断を余儀なくされたのか?(後編その2)
-事例から考える日本の都市樹木再生-
2021.07.20 コラム
#計画 #設計 #伐採 #更新 #保全 #管理 #剪定 #樹形 #植栽間隔 #緑陰 #景観
細野哲央(ほその てつお)
 一般社団法人地域緑花技術普及協会 代表理事
 博士(農学) 樹木医

なぜ熊本市の「街路樹再生」事業は中断を余儀なくされたのか?(後編その1)-事例から考える日本の都市樹木再生-


なぜ市は伐採事業を進めようとしたのか

 ― こうして対象路線についての資料を具体的に確認してみると、街路樹の課題解決のために6割の街路樹を伐採する必要があるとは思えませんでした。
 再生の方針とも矛盾するのでは?
  
 細野: 同感ですね。
 この手段が、課題解決という目的を果たすために合理的か、方針に沿ったものかを考えれば、そうは思えません。
  
 ― では一体、なぜ市は伐採事業を進めようとしたのでしょうか?
  
 細野 あくまで推測ですけれど、街路樹の課題の一つとされる財政負担だけにフォーカスを当てれば、間引くという発想自体は理解できますよ。
 街路樹の数を減らしただけ予算の圧縮が見込めますから。
 一理はあるんですよ。 
 *「第1期 熊本市域街路樹再生計画」の資料によれば、3年に1度の高木剪定で、電車通りは1億円、第二空港線は6500万円の経費がかかっているとされている
 ― もしその通りだとすればとても残念なことです。
  
 細野: はい。先ほどお話ししたように、世界的にはむしろ、気候変動への対応や、住民の健康や生活環境の改善のために、都市の樹木を増やしていこうと様々な政策を打っているのが潮流です。
  
 それに、欧米では、雨水貯留や省エネ、汚染物質除去や二酸化炭素固定など、都市の樹木があることによる利益を金額に換算して評価することが一般的になってきました。
  
 たとえば、ニューヨーク市の街路樹が生む利益の年間総額は、1億ドル以上(2019年7月現在)。
 ニューヨーク市のホームページで公開されていますよ。
  
 ― 日本円で110億円以上ですか! 
 細野: 本当に額面通りの価値があるのかは私も分かりませんよ。
 公式に当てはめて計算した結果ですから、フィクションの部分もあると思います。
  
 でも、それは政策の基礎になる重大なディテールで、行政がそれを発信していることに彼らの覚悟を感じるのです。
  
 ― そういわれてみれば、再生計画の基礎になっている街路樹の課題は定性的なものが多くてディテールが弱いと感じます。具体的な数値が出ているのは予算減少や管理コスト、苦情件数。
 資料では苦情件数が増加傾向にあるとは思えなかったですし、間伐が苦情を減らす効果があるかも疑問ですよね。 
街路樹や道路除草に関する市民からの要望推移(単位:件)
(熊本市・熊本河川国道事務所「第1期 熊本市域街路樹再生計画」令和2年3月)
 細野: 政策の基礎としてのディテールが再生計画に不足していることは同感です。
 6割の間伐で明らかな効果が認められるのは、やはりコストの話ですね。 
街路樹管理・道路除草 決算額推移(単位:千円)
(熊本市・熊本河川国道事務所「第1期 熊本市域街路樹再生計画」令和2年3月)
街路樹管理・道路除草経費の将来見通し(単位:千円)
(熊本市・熊本河川国道事務所「第1期 熊本市域街路樹再生計画」令和2年3月)

再生計画における「日常管理」と「保全」

 ― 伐採のほか、再生計画の基本方針を実現するために、重点路線を含む全路線に実施されるという「日常管理」と「保全」(治療・保護)の内容にも疑問を持ちました。
  
 「日常管理」の内容は、計画的な整枝剪定や軽剪定を行うことで継続的に理想的な管理樹形を整える、樹形を損ない腐朽等の発生リスクも高まる強剪定は原則行わない、樹木異常や根上がりなどの症状の早期発見のため日常的な点検に努める、とあります。
 一般論としては適切な内容だと思いましたが、今までできていなかったことなら実行するのは簡単なことでないのではありませんか。
  
 細野: おっしゃる通りで、通り一遍の原則論だけですぐに出来るなら苦労はしません。
  
 しかし、実際にそれが出来ているのは、日本中でもごく一部の街路樹だけ。
  
 単に知らないから、技術力が足りないから出来ないということでなくて、その原因は街路樹を管理する従来のシステムにあるからです。
  
 伐採しただけでは既存の街路樹は「再生」できません。
 街路樹を再生するには、継続的な取り組みとしての「日常管理」と「保全」こそが実は最も大切なことで、難しいことなんです。
  
 ですから、計画的な整枝剪定や軽剪定を行う、日常的な点検に努める、その本来の正しい管理をするために何が課題なのか、どのようなシステムを作る必要があるのかを、再生計画の中で示さないといけない。
 従来の管理を変えることは難しいんですよ。
  
 ― しかも「保全」の内容は具体的にはほとんど何も書いてありません…。
 今の再生計画では、伐採以外は単なるお題目を並べただけで終わってしまうのでは?
  
 細野: 街路樹の再生を標榜するなら、「保全」の具体的な内容も計画しないといけません。
 おっしゃる通りだと思います。

その街路がどんな場所なのか、どんな場所にしたいのかを考える

 ― 実は、最初にこの事案を報道で知った時、手続き的な問題が中心的な話になると思っていたんです。
 しかし、お話を伺って、再生計画の内容自体も再検討する余地もたくさんあるように思いました。
  
 最後にこれは言っておきたいというお話がありましたらお願いします。
  
 細野: そうですね。街路樹の再生は多くの自治体で直面している課題ですので、今回の事案を教訓とすることが大切です。
  
 街路樹の課題は、道路や植樹枡の幅員や形状、樹種や樹齢、土壌の環境、沿道の土地利用、歴史や地域性など、その街路樹がある場所の様々な要因が重なって生まれています。
 ですから、課題や課題解決のためのアプローチが場所によって全然違うものになるのは当然のことです。
  
 ですから、街路樹だけの問題として考えるのではなく、そこがどんな場所なのか、どんな場所にしたいのかを考えることが、結局、街路樹の課題解決のための近道になると思います。
  
 そうせずに、とにかく街路樹の数を減らす、ということを優先して進めても、課題解決の効果は十分に得られないでしょう。
 反対に、今まで街路樹があることで生まれていた緑陰や景観などの「利益」は大きく損なわれてしまいます。
  
 ― 街路樹をどうするのかという前に、その街路がどんな場所なのか、どんな場所にしたいのかをまず考える、とても大切なことだと思いました。
  
 細野: はい。それを十分に検討したうえの選択であれば、伐採の判断であっても全然問題ないことだと思っています。
  
 たとえば、もともと豊かな自然がある郊外の路線であれば、街路樹がいらない場所もたくさんあると私も思います。
 人にとってそこに街路樹が存在する意味がないのであれば、伐採の判断は合理的です。
  
 自動車での移動が主となる幹線道路であれば、商業施設などの沿道の民有地で高木の植栽が促進される施策をとれるなら、街路樹の数を減らすということもあり得るでしょう。
 民有地の高木が街路樹の役割を担ってくれることが期待できるからです。
  
 住宅街の生活道路であれば、寺社の樹木や庭木などを道路へ誘導する施策がとれるなら、街路樹がなくても今よりずっと良い生活環境ができると思います。
  
 反対に、街の中心地区や行政地域、文教地区、それらをつなぐ街路などは、その地域の顔であり、子供や高齢者が徒歩や自転車で行き来することも多いエリアですから、緑陰や景観に十分に配慮した街路樹デザインが必要になります。
  
 そういう場所で、棒のように剪定されていたり樹勢が衰退したりしている街路樹があるなら、管理方法の改善や樹勢を回復させるための土壌改良や植樹スペースの拡張など、街路樹を育成するための積極的なプランがあるべきです。
  
 こうしたことが、本来の意味での「街路樹の再生」であり、「潤いと安らぎのある街路樹空間の創出」ということだと思うのです。

 細野 哲央(ほその てつお)
  
 一般社団法人 地域緑花技術普及協会 代表理事
 樹木医 博士(農学)
 国立大学法人 千葉大学 客員研究員 

 樹木のリスクマネジメント、樹木医倫理の分野で日本の第一人者として知られ、樹木と人のかかわりを切り口として、多岐にわたる分野の調査・教育業績をもつ。
 植栽や庭園の施工・維持管理技術、緑化樹木の生産・管理技術、緑の生理・心理的機能、樹木の成長特性などにも造詣が深い。
 市民や若手技術者の育成には特に力を入れており、市民講座や自治体職員・技術者向けの研修会などで精力的な講演活動を行っている。 

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