

AUTHOR じゅもくやん
庭や木が好き。旅をしながらゆるく植物を愛で、noteで「読み物」を執筆中。STAGEの代表には頭が上がらない関係で本稿も寄稿することになったとか。
0.はじめに
植物をテーマにした旅。今回は日本海側の雪山にだけ分布するユキツバキを求め、新潟県の山間の町、阿賀町を訪ねました。椿愛好家である筆者にとっても、初めて目にするユキツバキ。その姿はどのようなものでしょうか? 町を巡り見聞きを重ねてきました。
1.ユキツバキとは?
ユキツバキの紹介
ユキツバキ(学名:Camellia rusticana Honda)は、新潟県を中心に、秋田県田沢湖から滋賀県北部までの日本海側の山地に分布する野生の椿です。樹高は最大3mほどの常緑中低木で、自生地はいずれも豪雪地帯。冬の間は雪の中に埋もれながら厳しい季節を耐え抜きます。
雪国の遅い雪解けとともに咲く花は、日本各地で見られるヤブツバキに似ていますが、よく見るといくつかの違いがあります。ここに2つの椿の写真がありますが、どちらがユキツバキだと思いますか?

ユキツバキとヤブツバキとの違い
正解は①番がユキツバキで、②番はヤブツバキです。一見よく似ていますが、細かく観察すると違いが分かります。
たとえば、ユキツバキの花糸(雄しべの下部の軸)は黄色く、1本1本がばらけているのが特徴です。また、満開になると花はのっぺりと平らに開きます。一方、ヤブツバキの花糸は白く、根元でくっついています。満開になっても花は開き切らず盃状をしています。
さらに葉や樹形にも様々な違いがあります。興味のある方は下表を見てみてください。なお太字は分かりやすい違いです。

こうした違いは、それぞれが生育する環境に適応することで生じました。ヤブツバキは積雪の少ない海岸沿いの平野に、一方でユキツバキは山地の豪雪地帯(冬期の最深積雪量がおおよそ150cm以上の地域)に分布しています*1。
2.ユキツバキを知る旅
2-1.生き方を知る
雪椿の町
2024年4月、ユキツバキの生態に迫るべく、新潟県阿賀町で開催された「雪椿巡り」ツアーに参加しました。阿賀町はユキツバキが発見された町で、ユキツバキを活用した町おこしが盛んです。町内には自生地や椿園などの名所が点在しています。ツアーでは「阿賀町ゆきつばきの会」の専門家による解説を聞きながら、これらの名所を2時間半かけて巡りました。
https://www.aga-info.jp/event/240420

ユキツバキとの出会い
ツアーは阿賀町の中心地、雪除けの雁木が連なる津川の町から始まりました。
最初の目的地は赤崎山。いくつかの集落を通り、車が山を登り始めると、斜面にはコナラや桜類が見え始めました。薄暗い地面に目を凝らすと、濃緑色のアオキに交じり、赤い花と艶やかな葉をつけた低木がちらほら見えます。おっ、人里からそう遠くない場所、標高150mほどの地点で、さっそく野生のユキツバキに遭遇です。
この調子でユキツバキがずっと続くのかと思っていましたが、道路が日当たりの良い開けた場所を通るようになると、ユキツバキはパタリと途絶えました。微妙な環境の違いでしょうか。
変わり者の椿
しばらく進むと、山頂付近の「赤崎山森林公園展望台」に到着。標高340mのこの場所では、ブナ、ミズナラ、オオバクロモジといった冷温帯の植物に埋もれるようにして、ユキツバキが美しい花を咲かせています。九州や関東などの温暖な地域で、シイノキやシロダモ、アオキに囲まれて咲く椿しか見たことがなかった筆者にとって、この光景は驚きそのものでした。
そもそも椿類は、アジアの亜熱帯から暖温帯に広く分布している植物。その中にあって、ユキツバキはあえて厳しい雪山を好んで暮らしている「仙人」のような樹木です。

豪雪を生き抜くヒミツ
ここで、ガイドの方が道端のユキツバキの枝を手に取り、それをU字に曲げて見せてくれました。思わずそのしなやかさに驚きました!もしヤブツバキの枝で同じことをすれば、U字になる前にポキッと折れてしまうでしょう。
この柔軟さこそがユキツバキ最大の特徴。この性質から、昔は物を縛るのに使われていたそうです。

ユキツバキのしなやかさをもっとも強く感じたのは、次の目的地「角神雪椿園」でのこと。ここには成木のユキツバキが多数栽培されています。根元から分岐した細い幹は地を這うようにうねっています。これは積雪により幹が押し倒されたためです。この地域は世界有数の多雪地帯。2月には平均で104cmも雪が積もります*2。

樹木は通常、体を丈夫にすることで風圧や雪圧に耐えます。それでも負荷に耐えきれず枝が折れることがあります。一方、ユキツバキは丈夫さで積雪の重さに抗うのではなく、雪の重みを「しなやか」に受け流す戦略により、折れずに世界有数の多雪地帯を生き抜いているのです。
敵を味方にするしたたかさ
もしかして、雪に押されてかわいそうと思いましたか?
ところがそうでもありません。雪の中は意外に温かく、外気温が氷点下でも雪の下は0℃前後を保ちます。このためユキツバキは凍りにくいのです。また、寒風が直接当たらないため、葉の乾燥も防ぐことができます。
ユキツバキは、その名前から寒さに強いと思われがちですが、実際にはヤブツバキ以上に寒さや乾燥に弱い植物です。一般的に植物は、体内の糖分を増やしたり、葉や蕾に毛を生やすなど、自らの抵抗性を高めることで凍結や乾燥に耐えています。ユキツバキにもそれらの仕組みが全くないわけではありませんが、日本海側の寒風を自力だけで乗り越えることはできません。その証拠に、積雪から飛び出た枝葉はしばしば枯れてしまいます*3。
このように、不利に見える積雪を逆手に取ってしまうユキツバキ。しなやかなだけでなく、したたかな植物なのです。

ユキツバキはこうした落葉樹林に生える
プランB
しかし、雪山には我慢しなくてはならないこともあります。その一例が着花や結実の減少です。雪山の宿命として、林内の土壌が夏になっても湿っており、花の付きが悪いのです*4。さらに、早春の雪山では花粉を運ぶ昆虫が少ないため、ユキツバキは受粉の機会が少なく、種子が非常に少なくなります*5。
そこで、ユキツバキは主にクローンによって増えています。雪の重みで地面に押し付けられた枝が、土中に埋もれることで適度な湿度と植物ホルモンの作用を受け、根を生やして独立した個体となるのです†。
種子がダメならクローンで。ユキツバキは、雪の重さを巧みに利用した繁殖戦略を採っているのです。
†植物の体細胞の分化全能性
植物の体細胞は高い分化全能性を持ち、枝などの特定の器官に分化した細胞が容易に初期化され、根など他の器官に再び分化する。園芸で行う取り木や挿し木はこの性質を利用した繁殖法。このような種子によらない繁殖方法を栄養繁殖という。なお、動物で分化全能性のような多能性を目指した技術がiPS細胞。

2-2.花の神秘を知る
様々な花たち
次に訪れたのは民間の椿園「古澤屋 訪春園」です。こちらでは、楚々とした白椿から、工芸品のように精緻で華麗な椿まで、ユキツバキ由来の様々な椿を見ることができます。
とくに目を引いたのは「津川絞」と「日出谷」。どちらも地元の地名にちなんで名付けられたご当地椿です。「津川絞」は桃色の花びらに赤い模様(縦絞り)が入り、幾重もの花びらが規則的に重なった姿をしています。「日出谷」は更に幾何学的で精緻な美しさが際立ちます。まるで職人の手による宝飾品のような佇まいで、その神秘的な美しさに思わず息を呑みました。

他に、この椿園や町内で見かけた様々な椿もご紹介します。





美しさと神秘の源泉、そして移ろい
神秘的な美しさを湛える椿は、どのようにして生まれ、広まったのでしょうか?
その原点はユキツバキの性質にあります。ユキツバキは一般的なヤブツバキよりも花が変化しやすいため、まれに色や花びらの枚数が変化した花が咲くことがあります。特に、ユキツバキとヤブツバキが交配(こうはい:他の花の花粉がめしべについて、新たな子供をつくること)して生まれたと考えられているユキバタツバキにこの傾向が顕著です*6。
こうした花の中から、地元の人々が鑑賞価値の高いものを選び出し、庭先などで育て始めたと考えられています。その正確な時期は不明ですが、ユキツバキ研究の権威であるお茶の水女子大学の津山教授は、『日本においてもっとも古く園芸化された品種群であると思う。』と述べています*7。
これら「地元の美しい椿」の一部は、早ければ平安時代以降*8、おそらくは室町時代以降に京都や関西地方に集められたと考えられています*9。そこで他の地域から集まった椿と交配が起こり、その一部がより観賞価値の高い「京つばき」になりました。この「京つばき」は後に江戸に伝わり、さらに変化をしていきました。
一方で、表舞台が京や江戸に移るにつれ、「地元の美しい椿」は、世間の人々の関心から外れていったと思われます。

―江戸時代には椿ブームが何度か起こったー
昭和の雪椿ブーム
その状況が変わり始めたのは、第二次世界大戦直後の1950年(昭和25年)ごろ。植物学者の本田正次博士によるユキツバキの詳細な研究発表をきっかけに、学術界や園芸界からの注目が徐々に高まります。
特に1960年以降は、ユキツバキ系の新しい園芸品種が次々と発表されました。筆者が確認しただけでも、1960年代に新潟から発表されたユキツバキ系品種は38種類以上にのぼります。1975年に出版された『現代椿銘鑑』では、戦後に新潟県から発表・市販された椿の数は170種類を超えるとされています(変わり葉椿やヤブツバキ系も含む)*10。
ところで花木の育種には年月を要します。そのため、この時期に発表された椿の多くは、戦後に新たに交配して作られたものではありません。それでは次々に発表された椿は一体?
実は、その正体は、長い間表舞台から姿を消していた「地元の美しい椿」なのです。1960年頃の新潟県の山村では、農家の庭先や墓地などに、美しい白花や八重咲きなどの椿が咲いていました。しかも、その種類は地域ごとに異なっていたそうです*11。県全体では非常に多くの品種が存在していたことでしょう。
こうした椿を求めて、昭和のプラントハンターたちが民家や山村を訪問、美しい椿の枝葉を分けてもらい、挿し木で増やして発表しました。前節で紹介した『津川絞』はこの代表例。この品種は現在の阿賀町広瀬にあった個人の庭で栽培されていたもので、1968年(昭和43年)に発表されました*12。同じく『鹿瀬』や『陽春』も阿賀町内の個人の庭で育てられていた品種です。
こうして「地元の美しい椿」は、1960年以降に広く日本中の人々に知られることになったのです。

2-3.ゆかりの地を知る
ユキツバキ発見の地
訪春園を道なりに歩いていくと、椿林が開け、目の前に屹立した岩山が現れました。麒麟山です。ここ麒麟山は、植物学者がユキツバキという新たな種類の椿に気づくきっかけとなった、記念すべき場所でもあります。
それは1906年(明治39年)のこと。地元の農林学校で教頭を務めていた丸山忠次郎氏が、麒麟山を登山中に、ある椿の花に目を留めました。その花は雄しべや雌しべの構造がヤブツバキと異なっていたため、丸山氏はこれを「変種ではないか」と考えたそうです。彼はその標本を、東京帝国大学理科大学(現:東大理学部)の助手をしていた牧野富太郎氏に送ります。そして、この新しい椿は「ユキツバキ」と命名されたのです*13。
しかしこの時点では、学名はつけられず、学会にも発表されなかったようで、ユキツバキの存在が広く知れわたることはありませんでした。
今回は麒麟山に登れませんでしたが、山中には今も自生のユキツバキが咲いているのでしょうか。

2-4.椿でお腹いっぱい
2時間ほど雪椿をたっぷり満喫した後、出発地点の津川に戻ってきました。ツアー限定のユキツバキ弁当を味わいながら、阿賀野川越しにそびえる麒麟山を眺め、今回の旅の発見に思いを巡らせます。

訪れる前は、「雪国にひっそりと咲く地味な椿」という漠然としたイメージだったユキツバキ。しかし、この旅を通じて、その驚くべきしなやかさ、したたかな生態、そして美しい椿の源泉であることを知りました。
その奥深さに興味はますます尽きません。ユキツバキを巡る旅はこれからも続きます。

2024年4月下旬に訪問
©じゅもくやん 2025.1.4,修正:2025.1.10,寄稿:2025.4.30
3.お役立ち情報
【出典】
*0 Camellia japonica (flower s2),©Alpsdake,CC BY-SA4.0
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Camellia_japonica_(flower_s2).jpg?uselang=ja
*1 石沢進,ユキツバキの分布と気候,吉岡邦二博士追悼植物生態論集p.302,1978
*2 アメダス津川:標高100m
*3 石沢進,雪国の植物 ユキツバキ2樹の大きさ,新潟県植物保護10p.21,1991
*4 石沢進,雪国の植物 ユキツバキ13年による着花の変化,新潟県植物保護21p.14–15,1997
*5 石沢進,雪国の植物 ユキツバキ24ユキツバキの果実と種子,新潟県植物保護32p.10–12,2002
石沢進,雪国の植物 ユキツバキ38ユキツバキの果実・種子,新潟県植物保護46p.8–13,2009
*6 津山尚,1.ツバキ属と人間の歴史,現代椿集p.267,1972
*7 津山尚,1.ツバキ属と人間の歴史,現代椿集p.267,1972
*8 津山尚・二口善雄,日本椿集p.454,1966
*9 津山尚,1.ツバキ属と人間の歴史,現代椿集p.242・267,1972
津山尚,8.ツバキ園芸品種の起源と分布,日本の椿p.25,1969
*10 桐野秋豊, 地方別品種の特徴,現代椿銘鑑p.44,1975
*11 萩屋薫・石沢進,ユキツバキに関する研究(第1報),園芸学会雑誌30巻3号p.270-290,1961
中村恒雄,ツバキとサザンカp.34,1965
津山尚,1.ツバキ属と人間の歴史,現代椿集p.267,1972
津山尚,8.ツバキ園芸品種の起源と分布,日本の椿p.25,1969
*12 津山尚,Descriptions of the cultivars,日本の椿p.205,1969
*13 石沢進,雪国の植物 ユキツバキ25ユキツバキの呼び名,新潟県植物保護33p.11-12,2003
【参考文献】
ツバキ、サザンカ (NHK趣味の園芸 よくわかる栽培12か月)
植物Q&A 植物細胞の全能性と動物細胞,日本植物生理学会
https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=2196
椿に目白と四十雀図,歌川広重,1840年頃,The Metropolitan Museum of Art
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/36722
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