【植物を訪ねて】五島列島の椿
2024.03.06 コラム

AUTHOR じゅもくやん

 植物をテーマにした旅。今回は日本有数の椿の島、長崎県五島列島を訪ねました。

野生のヤブツバキ、全国の半分近くの生産量を誇る椿油、多くの園芸品種を生み出した幻のツバキについて見聞きしてきましたよ。


ヤブツバキ

 様々な花姿で人々を楽しませてくれる椿。人の手によって改良が重ねられ、今では2万種類以上の椿があるとも言われています*1。

 これらの元をたどると、日本に自生するヤブツバキ(Camellia japonica Linnaeus)に起源をもつものが多くあります。

 ヤブツバキは青森県から沖縄県までの広い範囲に分布する日本の照葉樹林を代表する『種』† で、西日本では海岸域から雑木林そして山中まで、東日本では温暖な海岸域を中心に分布しています。日本に自生する4『種』の野生ツバキ類のなかでは、最もポピュラーで広く親しまれてきた椿といえるでしょう。

 

† 生物を分類するときの基本分類。重要な形態・生態・生理の違いにより他のグループと区別できるまとまり。例えば、カワセミ、キジバト、ウグイス。

 

ヤブツバキ 写真提供:五島市

野生の椿

 そのヤブツバキが沢山生育している場所が、九州の西に浮かぶ島々、長崎県五島列島です。

 五島列島にはザックリと1,100万本*2 ともいわれる椿が自生しており、椿の島として知られる久賀島には、中高木がヤブツバキだけで構成された森林(純林)が2ヶ所あります。

 五島では、道端、街路樹、福江の武家屋敷、教会、畑、海岸沿い・・・、いたるところで椿が目に映ります。

 

五島の地図

 中通島の奇麗な海に見とれながらドライブをしていると、野生のヤブツバキとの出会いが突然やってきました。崖に赤い花をつけた樹木を見つけたのです。

 海に続く斜面には、常緑広葉樹林、植林された針葉樹、落葉樹混じりの常緑樹林がモザイク状に入り組んでいますが、ヤブツバキの周囲は常緑高木(ハマビワ)とシダ類(オニヤブソテツ)を中心とした森林が広がっており、民家や道路はありません。恐らく人の管理が及ばない土地で、この椿は実生で生えた野生の樹木でしょう。もしかするとネズミやリスが種を運んできたのかもしれません。

 海風が強く当たり、根を張る土層も薄いだろうに、艶やかな葉を茂らせたたくましい椿です。

 

椿と共にある生活

 このように椿が多く自生する環境ですから、太古の昔から、五島の人々の生活は椿と共に営まれてきました。

 縄文時代の遺跡からは土器と共に大量の椿の種が見つかっており、薬用に利用されたのではないかと考えられているそうです。遣唐使の時代には、中国大陸(渤海)からの使者が当時薬とされていた椿油を持ち帰ったとする記録もあります*3。

 人々と椿の長年の営み、それを象徴するのが「聖母の大椿」です。

 樹齢300年以上と言われているこの椿は、福江島北側の三井楽地区にあります。海に面するこの場所は丘となっており、冷たい冬の季節風が吹き付けます。その風から畑を守る防風林として椿が植えられており、かつては搾油用の種実も採取していました。人々に複合的な恵みをもたらす椿林、「聖母の大椿」はその中の一本です。

 

防風林への入口、椿の背後に畑が見える

 寒風が吹きすさぶなか現地を訪れると、椿に周りを囲まれた畑がいくつも見えてきました。

 この丸い形をした畑は丸畑と呼ばれ、かつては甘藷が多く栽培されていました。現在では耕作が放棄された畑もあるそうですが、目の前の畑は昨秋まで作物を育てていた痕跡があり、ちゃんと椿の防風林も現役です。

 

畦道を覆う椿の防風林

 丸畑の間にある畦道を覆う椿の防風林、そこを進んだ先に「聖母の大椿」は佇んでいました。

 大椿は幹周りが2m以上あるという大木で、その根は複雑に絡み合い石垣を飲み込む勢いです。一方で枝はうねり、梢端の葉を落としています。葉の色は黄緑に褪せ、多くの胴吹きも生じています††。

 寒風の風切り音だけが響く中で大椿と対峙すると、地域の自然の厳しさや、大椿が耐えてきた幾星霜に想いを馳せずにはいられません。それでもなお、深紅の花がぽつりぽつりとほころんで・・・。古木、枯淡という言葉は正にこういう樹のためにあるのでしょう。

 

† † 樹木の活力が低下したときに幹から枝が発生すること、またはそうして生じた枝の事。

 

椿油

 次に、「見る」以外でも椿を味わいたいと思い椿油の搾油体験をしました。

 炒った種を潰し、蒸し、搾る。カラカラと乾燥した種子からは想像できない事ですが、なんと1kgの種から300ccの油を搾ることが出来ました。これには驚きです。

 

 五島ではサラダ油が普及するまで油と言えば椿油のことだったそう。

 調理・食用以外に灯明用、薬用、美容にも使用されました。古くは自家消費がメインでしたが、昭和の前期頃には収益を得る目的で椿の植栽と栽培が活発に行われていました。

 その理由の一つに、椿油が他の林業生産物に比べて収益性が高いことが挙げられます。例えば、昭和26年頃の長崎県の報告書では『昭和二十六年頃の市価では杉桧に比し五十年で二十倍の収入がある』と記されています*4。

 近年でも、全国の椿油生産量の40~50%を長崎県が占めており*5、その大部分を五島で生産しています*6。天然の産物なので年により生産量が大きくばらばらなのですが、令和元年度は、全国で生産された椿油の半分超を五島産が占めました*6。

 名実ともに五島を代表する特産品の椿油ですが、今では工業的利用もされており、某有名化粧品メーカーのシャンプーには五島の椿油が使用されています。なお、このメーカーは2010年代から継続的に島内で椿の保全・植林活動を行っているそうで、サプライチェーンの上流側でのサスティナブルな活動に感銘を受けました。

 五島での椿の保全の歴史は、江戸時代初期に久賀島で椿の伐採を禁じる御触れが出された事までさかのぼります。昭和 29 年には当時の久賀島村が保護条例を制定して現在に至るそうです*7。

 

入浴剤も商品化されてます

 もちろん椿の恵みは油だけではありません。

 硬い木材は工芸品、灰は染料、木炭は燃料などに使われてきました。近年では椿の葉で作ったお茶、椿酵母で醸した麦焼酎、種を使ったクラフトジンなど新たな製品も開発されています。もちろん私はいい大人なので、真っ先にジンを堪能しましたよ。

 このように五島の人々は椿を守りつつ恵みを上手に活用して生活を営んできました。

 

幻の椿

 話は冒頭に戻ります。

 沢山ある椿の園芸品種の中でも、特に著名かつ重要なものに「玉之浦」という種類があります。これは福江島の旧玉之浦町の山中で発見された種類で、花弁が白く縁取られているのが特徴です。これを園芸用語で白覆輪といいます。

 玉之浦の白覆輪は赤の色素が抜けた部分で、早い季節に開花するものは覆輪の幅が太く、季節が進むにつれて細くなることが知られています。おそらく他の環境要因も多少は影響していると思います。白覆輪の椿は江戸時代中期の「椿花図譜」*8 という絵本に「縁白」という名前で記されていましたが、以降は実物を見た者がいない「幻の椿」というべき存在でした。

 

玉之浦 写真提供:五島市

 その幻の椿がどのように発見され、どういう運命をたどったのか、NPO法人カメリア五島が発行した「まぼろしの椿玉之浦―五島の椿の発見と将来―」をもとに紹介しましょう。

 幻が現実になったのは終戦直後、炭焼き業者が旧玉之浦町の山中で、白い縁取りの変わった椿を発見したことによります。これが「玉之浦」です。

 1973年には長崎市内の全国椿展に出品され日の目を見ることとなり、1979年にはアメリカに渡り品種改良が行われました。1993年ごろになるとタマ・アメリカーナやタマ・グリッターズなどの海外で品種改良された新品種が、遅れて2000年代になると日本で改良された新品種も発表されるようになりました。

 現在、関東地方にある私の家でも、玉之浦とその子孫である「友の浦」や「タマ・アメリカーナ」がつぼみを膨らませています。玉之浦のDNAは受け継がれ、日本中、そして世界中の人々に愛されているのです。

 

タマ・アメリカーナ

 ところで木を保護する立場の樹木医としては、玉之浦の原木のその後に言及しなくてはなりません。

 その美しさが世界に伝わる一方で、山中の原木は1979年ごろに枯死してしまいました。前出の本によれば、元々カイガラムシという害虫にやられ活力が悪かった事に加え、珍しいツバキを手元で増やそうとする悪質な園芸マニアが枝や根を切断して持ち去ったことが原因のようです。非常に残念です。近年ではここまで悪質な話は聞きませんが、希少植物の保護・保全と利活用はあちらこちらで課題となっています。

 

玉之浦発見地付近の山

五島のシンボル

 さて、旅もそろそろ終わりです。

 今回はたくましい野生の椿、世界中の人々を魅了する幻の椿、そして椿と共に生きてきた人々の生活を知ることが出来ました。人と椿が共存している島、その玄関口となっている空港は「五島つばき空港」の愛称で親しまれています。これからも椿は五島のシンボルであり続けることでしょう。


2024年1月下旬に訪問

©じゅもくやん


AUTHOR じゅもくやん 庭や木が好きで、あちこち旅をしながらゆるく庭や植物を愛でている。X上でみどりの話題をリポストしがち。本業は緑のコンサルタント 兼 樹木医。最近は企業の生物多様性緑化に関心を持っている。STAGEの代表には頭が上がらない関係で本稿も寄稿することになったとか。


【出典】

*1 私たちの組織 , International Camellia Society , https://internationalcamellia.org/ja/our-organisation , 参照2024.2.1

*2 つばきの島。 , 新上五島町観光物産協会 , https://shinkamigoto.nagasaki-tabinet.com/feature/TUBAKI , 参照2024.2.1

*3 経済雑誌社 編『国史大系』第2巻 続日本紀,経済雑誌社,明治30. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991092/1/308 , 参照2024.02.18

*4 三浦伊八郎 著『椿春秋』,三浦伊八郎,1965. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2506872/1/21 , 参照2024.02.18〈孫引き〉

*5 特用林産物生産統計調査 , 農林水産 , https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/tokuyo_rinsan/ , 参照2024.2.18

*6 シリーズ4 五島市(郷土学習資料「ふるさと長崎県」ナガサキトピックス) , 長崎県 , https://www.pref.nagasaki.jp/shared/uploads/2023/03/1678265214.pdf , 参照2024.2.18

*7 「五島市久賀島の文化的景観」整備活用計画 , 五島市 ,

https://www.city.goto.nagasaki.jp/s009/010/030/020/040/seibikatsuyoukeikaku.pdf , 参照2024.2.18

*8 椿花図譜 宮内庁蔵本p.183 , https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Viewer/1000668990000/9c6ece8332a341e7b07f44b43bafc443 , 参照2024.2.18


【参考文献】

・まぼろしの椿玉之浦―五島の椿の発見と将来― NPO法人カメリア五島 2020.2.22

・五島市久賀島の文化的景観 長崎県 https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/457 参照2024.2.1

・ヤブツバキの分布図(植物社会学ルルベデータベースに基づく植物分布図) 国立研究開発法人森林研究・整備機構 https://www.ffpri.affrc.go.jp/labs/prdb/yabutubaki.html 参照2024.2.17

・三井楽ふるさと景観の椿林・円畑・スケアン再生で地産品ブランド化 五島里海里山未来拠点協議会 https://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/local_gov/hozen/r3images/209_r3mimiraku-satoyama.pdf 参照2024.2.20

・下五島の文化的景観保存調査報告書(案) 五島市https://www.city.goto.nagasaki.jp/s009/010/030/020/020/4chousahisaka4.pdf 参照2024.2.20

・資生堂、「TSUBAKI」の原料産地にて「循環型」となる植林・保全活動を初めて実施 https://corp.shiseido.com/jp/releimg/1942-j.pdf 参照2024.2.18

・五島つばき蒸溜所|五島列島福江島で風景のアロマ・GOTOGINを生産 https://gotogin.jp/ 参照2024.2.18

・上五島椿油上五島椿油のページ(新上五島町振興公社) https://www.kamigoto-tsubaki.com/ 参照2024.2.18


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