なぜ熊本市の「街路樹再生」事業は中断を余儀なくされたのか?(前編その2)
-事例から考える日本の都市樹木再生-
2021.07.19 コラム
#計画 #設計 #伐採 #更新 #市民 #苦情 #住民説明会 #パブリックコメント
細野哲央(ほその てつお)
 一般社団法人地域緑花技術普及協会 代表理事
 博士(農学) 樹木医

なぜ熊本市の「街路樹再生」事業は中断を余儀なくされたのか?(前編その1)-事例から考える日本の都市樹木再生-


なぜ説明会では反対意見が出なかったのか?

 ― 今伺ったお話からすれば、今回の市の説明会にも現状の街路樹に満足していた方が参加していたはずです。
 伐採事業に疑問を投げかけるような意見が出てもよかったように思います。
  
 細野: まず、説明会で6割の伐採という具体的な数字まで上がっていなかった可能性はありますね。
 隠していたとかそういうことではなく、単に限られた時間の中でそこまで具体的な話は用意していなかったかもしれない。
  
 再生計画の、街路樹の課題を解決して潤いと安らぎのある街路樹空間を創出します、という総論であれば、反対される要素はないと思います。
  
 その流れで、「みなさんも日常生活の中で街路樹について課題を感じることはありませんか」と尋ねれば、それはまあそういう意見しか出てきませんよね。
  
 ― 確かに。納得です。
  
 細野: もし具体的な伐採の話が出ていたとしても、街路樹「再生」の計画に関心を持つのは日頃から街路樹行政に対して何か不満をお持ちの方が多いでしょうから、伐採に対して好意的な空気が会場に作られていたとしても不思議ではありませんよね。
  
 隣近所や顔見知りも大勢いる場でしょうから、堂々と反対意見を言うのは勇気のいることだと思いますし。
  
 そこは説明会の限界でもありますね。
  
 ― 市は、計画についてパブリックコメント(以下、パブコメ)を実施しておらず、それについての批判も出ているようです。
 専門家からは「行政は、市民の興味や関心が高く、異なる意見がある時ほどパブリックコメントで広く意見を募り、できる限り計画に反映させる姿勢が求められる」と指摘されています。
 市の街路樹担当者も「熊本市の代表的な景観を形成する繁華街の街路樹は、全体的に意見を聞いた方が良かったかもしれない」とコメントを残しています(熊本日日新聞2021年6月25日「街路樹伐採、市民「再考を」 熊本市の電車通り・第2空港線 「森の都」象徴…パブコメ実施せず」)。
  
 *パブリックコメント:行政機関が政策等の特定の案件について一般市民から広く意見・情報などを求める手続き
  
 細野: 街路樹政策は市民生活に大きく関係するものですから、もちろんパブコメも実施するべきでした。
  
 ただ、パブコメさえ実施していれば今回のような事態にならなかったかといえば、そうは思えません。
  
 パブコメの意見に対してどのように対応するかは行政の広い裁量にゆだねられています。
 パブコメの対象となる案は、今回もそうですが、その道の専門家や有識者、学識経験者、自治体の関係各課で検討されてきた成案なので、根本の部分の再考を求めるような意見は受け入れることは実際問題として難しいんですね。
  
 ですから、パブコメの意見を受けて、内容を微修正するようなことはあっても、すべてがひっくり返ったような話は聞いたことがありません。
 そして今回の伐採の再検討というのは、すべてがひっくり返る話に近い。
  
 そもそも、パブコメが実施されていること自体、自治体のホームページをチェックしないと知ることもできないことがほとんどです。
 募集期間もありますし、関係する資料は素人が容易に理解できるような親切な内容でもないはずです。
  
 パブコメ制度の形骸化はよく指摘されていることです。

伐採に反対する意見が出ることをなぜ予想できなかったのか?

  ― では今回、市はどうすればよかったのでしょうか。
  
 細野: 委員会に諮る原案を作る前の段階で色々な方にヒアリングしたり、広く意見の募集を行ったりして、できる限り多くの意見を案に反映できると良かったです。
  
 それが無理でも、大規模な伐採には疑問の意見が出ることを予想して原案を準備する必要がありました。
 専門家からは、異なる意見がある時ほど広く意見を募るべきという指摘があったということですが、今回、市はそもそも市民間で「異なる意見がある」とは気が付けていなかったのかもしれません。
  
 市街地の良好な景観形成にとって重要な地区や、歴史的経緯によって市民の関心や思い入れが強い地区であれば、街路樹の大規模伐採に疑義が出るのは当然です。
  
 今回の伐採対象の2路線は、市庁舎や県庁舎の前を通る路線ですし、電車通りは熊本城へのビスタ景観を作っています。いずれも街の顔で都市計画上の最重要路線。
 街路樹だけで押し切れる場所ではないですよね。
 電車通りは水害の復興路線という歴史的な経緯もあって、街路樹に対する市民の思い入れが強いと思います。
  
 *ビスタ:ある対象物に向かった直線的な景観。「見通し景」や「通し景」ともいう。
  
 ― はい。市民の思い入れについては、熊本日日新聞の元記者の方の記事を読むととてもよく分かりますので、一部を引用します(熊本日日新聞2021年6月4日「「森の都」原点返り再考を 熊本市の街路樹伐採計画 元熊日記者・矢加部和幸」)。 

「森の都」原点返り再考を 熊本市の街路樹伐採計画

熊本日日新聞2021年6月4日 矢加部和幸元熊日記者

 熊本市の緑化は戦災や熊本大水害(1953年)で荒廃した市街地復興の柱の一つとして始まった。昭和30~40年代(1960年前後)、市街地の再開発や宅地の大規模造成などが進むにつれ、緑に対する市民の関心も高まった。72(昭和47)年秋、熊本市議会は市民に押されて「森の都作戦」を宣言。緑の総量を増やすために、市民も一緒になって街路樹や公園などにある緑を守り、さらに植樹する緑化運動が始まった。

 翌年夏、緑化運動を一気に燃え上がらせる事件が起きた。日照り続きの中、花畑公園の大クスノキが枯れ始めた。市民が見守る中、熊本市は踏み固められた地面をはぎ取り、連日給水するなど必死に養生。秋には新芽が芽吹き、クスノキはよみがえった。

 クスノキ騒ぎは市民の緑に対する関心をさらに高め、熊本市は緑に関する条例を整えるなど、緑化運動が行政の大きな柱となった。民間団体による「緑の県民会議くまもと」も発足。官民一体となった運動はさらに盛り上がった。


 細野: 良く分かります。
 こうした歴史的な経緯があるなら市議や県議も関心が高くて当然。
 市長が伐採中断を即決したのも頷けます。
  
 ― こうしてみると、これだけの材料がそろっていながら、なぜ反対意見が出ることを想像できなかったのか、逆に不思議になってきました。
  
 細野: うかつだったとは思いますね。
 ただ、地域史や担当業務についての勉強が足りないとか、想像力が足りないとか、原因はそんな単純なことにあるのか、ちょっと良く分かりません。
  
 ― 後編では、再生計画の内容について踏み込んで詳しく伺いたいと思います。 

なぜ熊本市の「街路樹再生」事業は中断を余儀なくされたのか?(後編その1)-事例から考える日本の都市樹木再生-


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「神田警察通り」街路樹伐採計画と反対運動(1) -事例から考える日本の都市樹木再生-


 細野 哲央(ほその てつお)
  
 一般社団法人 地域緑花技術普及協会 代表理事
 樹木医 博士(農学)
 国立大学法人 千葉大学 客員研究員 

 樹木のリスクマネジメント、樹木医倫理の分野で日本の第一人者として知られ、樹木と人のかかわりを切り口として、多岐にわたる分野の調査・教育業績をもつ。
 植栽や庭園の施工・維持管理技術、緑化樹木の生産・管理技術、緑の生理・心理的機能、樹木の成長特性などにも造詣が深い。
 市民や若手技術者の育成には特に力を入れており、市民講座や自治体職員・技術者向けの研修会などで精力的な講演活動を行っている。 

一般社団法人 地域緑花技術普及協会(STAGE)では、市民と専門家が手を取り合い、地域の緑や花を豊かに、美しく、健全に、守り育むための情報を公開しています。

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